おもらし同人誌レビュー⑧ 【おしっ娘は毎日だって大戦争!/黄金水大好きー(表紙絵:竹梅)】(オリジナル)
- 2020/05/23
- 10:20
前回のレビューで、「もっと挿絵があった方が良かった」作品について語った。果たしてあの評価で良かったのかどうかは分からないが、僕なりに全力でペンを走らせたつもりである。
しかしブログを更新した後、僕の頭の中で新たな疑問が生まれた。
『では、逆に挿絵を必要としないおもらし小説って何なんだろう?』
文章力……ではない。肌色黄金水先生の作品(同人誌レビュー⑦参照)は、とても洗練された作りとなっていたし、読み物としても充分満足出来た。
キャラクター……これは、好みで分かれると思う。即ち「その作品の主要キャラがおもらししているところを想像出来て、興奮出来るか否か?」による。
ストーリー? シチュエーション?
どれも今ひとつピンとこない。
そんな釈然としない気持ちを抱えたまま、手にとった次の作品を読み終えると、僕なりに一つの結論が出た。
〝表紙で作品の主要キャラの、おもらしを匂わせるイラストがあるか無いか〟が大きく関わってくるーーと。
◆◆
今作の舞台となる志賀間中学校は超マンモス校でありながら、女子が一年生だけで250人に対してトイレの個室が四つしかない。即ち
、休み時間とは、女の子による恥を捨てた尿意との戦いの時間なのであるーーこれぞまさに、おしっこフェチシストが夢見るシチュエーションを舞台に、五人の主人公が繰り広げるおもらしオムニバス短編集。
ある娘は、明るくてノリのよい今どきの女の子。
またある娘は、気弱で引っ込み事案なトラウマっ娘。
そしてまたある娘は、しっかり者で皆を支えたいお姉さんタイプ。
これこそ、誰も(だと思う)が思い描いていたおもらし短編集だと思います。
人が変われば、好みも変わる。
オモラシストも千差万別。
やはり、自分の好きなタイプの女の子におもらししてほしい。
よほど偏った趣味でもない限りは、間違いなく楽しめる作品が一つはあるはずです。
まぁ、娘によってはギリギリ間に合ったりするので、満足いく結末かは保証出来ませんがーー、
〝この娘はおもらしするのか、しないのか?〟
それを想像しながら読むことが、全作を通しての一番の楽しみ方なのかもしれませんね。
◆◆
作者はpixivで多数のおもらし短編を投稿している、黄金水好きーさん。
イラストは、同じくpixivで『アイドルマスターシンデレラガールズ』や『あんさんぶるスターズ』関連のキャラクターのイラストを多く投稿している竹梅さん。
基本的に全作力の入った作品となっていますが、やはり2・3話と前後編になっている「内海綾香」編からは、熱量というか作者の思いのようなものがヒシヒシと伝わってきます。
前述した気弱で引っ込み事案なトラウマ持ちの女の子・内海綾香が主人公。過去の失敗から友達をつくることが出来なかった彼女でしたが、初めて声をかけてきてくれた近藤鳴海(別作品の主人公)との仲を守るために必死に尿意と闘う姿は、オモラシストとして彼女の恥ずかしい姿を望みながらも、どうにか助かってほしいと願ってしまうほどのいじらしさがあるのです。
まさか、おもらし小説で手に汗握ることになるとは……。
ネタバレになってしまうので多くは語れませんが、ゴールが近付くにつれジワジワと決壊を迎えていく彼女の姿は、イラストが無くても自然と絵が浮かぶし、男性なら趣味とか関係なく、無意識に心臓が昂ぶるのではないでしょうか。
今後彼女は、このシリーズの看板娘になるかもしれません。
◆◆
そして、別の意味で名作と言っても過言ではないのが「響咲音」編です。
上品に振る舞うお嬢様然とした主人公ですが……その実体はいかに!?
今作は言葉遊びというか、自分視点でトイレの列に並び尿意を我慢する様を丁寧に実況してくれているので、臨場感と緊迫感が程よく入り混じった、比較的読みやすいタイプの作品ですが、
何よりの注目点は、女子トイレ全体をひとつの〝音楽〟として扱っていることです。
主人公が吹奏楽部ということで、実況の中で「メインパート」とか「フォルティシモ」とかそれを匂わせる単語が多数出て来ます。それこそ、瀬戸際の女の子がトイレのドアをコンコンとノックするのを「ドラムの音のよう」とまで表現しています。
果ては、尿意から解き放たれるのを今か今かと待ち構えている女の子達の耳に入ってくる他人のオシッコの音すらも交響楽団のハーモニーのように扱う様は……もう途中から、そっちの方が楽しくなってきます。
読者を楽しませることよりも、作者自身が楽しむことを考えて作られたのではないか、と思いましたね。
◆◆
残念な点をあげるとすれば、まず文書の推敲が上手く出来ていなかったこと。
行の先頭がズレていたり、単純な日本語のミスがあったりするのですが、そこは僕は大して気になりませんでした。
それよりもこの場を借りてお話したいのが、前述した「表紙イラスト」の問題です。
トイレでおしっこを我慢する女の子達から、保護欲をくすぐる愛おしさを感じるおかげで、〝可愛い女の子のおもらし〟が妄想出来て非常にワクワクするのですがーー誰が誰なのかが、明確に記されていないのです。
誰で想像するかは今のところ読者の自由ですので、人によっては初めは混乱するかもしれませんが、もしかしたらこれも作者の思惑通りかもしれません。
即ち誰が誰なのかを考えながら読んでほしいというーー。
いずれにせよ竹梅先生のイラストの女の子の苦痛に歪む女の子の表情は「あぁ、おもらしっ娘向きだなぁ」と思いました。
皆様はどう思ったのでしょうか。
(後日、黄金水好きーさんのpixivで今作の登場人物の紹介ページがあることが判明しました。プロフィールから年表、作者の備考まで事細かく記載されています)
◆◆
つまり前回の「TRUE iDOL SHOW/肌色黄金水」(同人誌レビュー⑦)は、おしっこ小説と謳っているにも関わらず、表紙だけではそれがイメージ出来なかった……のかもしれませんね。
しかし、商業的に販売されている文芸作品や文学作品内にストーリーの根幹には関わらないのに、突然「失禁」や「おねしょ」といった排泄描写が出てくると思わずドキドキしてしまうこともあります。
文学とおもらし……実は、面白い研究テーマなのではないでしょうか。
しかしブログを更新した後、僕の頭の中で新たな疑問が生まれた。
『では、逆に挿絵を必要としないおもらし小説って何なんだろう?』
文章力……ではない。肌色黄金水先生の作品(同人誌レビュー⑦参照)は、とても洗練された作りとなっていたし、読み物としても充分満足出来た。
キャラクター……これは、好みで分かれると思う。即ち「その作品の主要キャラがおもらししているところを想像出来て、興奮出来るか否か?」による。
ストーリー? シチュエーション?
どれも今ひとつピンとこない。
そんな釈然としない気持ちを抱えたまま、手にとった次の作品を読み終えると、僕なりに一つの結論が出た。
〝表紙で作品の主要キャラの、おもらしを匂わせるイラストがあるか無いか〟が大きく関わってくるーーと。
◆◆
今作の舞台となる志賀間中学校は超マンモス校でありながら、女子が一年生だけで250人に対してトイレの個室が四つしかない。即ち
、休み時間とは、女の子による恥を捨てた尿意との戦いの時間なのであるーーこれぞまさに、おしっこフェチシストが夢見るシチュエーションを舞台に、五人の主人公が繰り広げるおもらしオムニバス短編集。
ある娘は、明るくてノリのよい今どきの女の子。
またある娘は、気弱で引っ込み事案なトラウマっ娘。
そしてまたある娘は、しっかり者で皆を支えたいお姉さんタイプ。
これこそ、誰も(だと思う)が思い描いていたおもらし短編集だと思います。
人が変われば、好みも変わる。
オモラシストも千差万別。
やはり、自分の好きなタイプの女の子におもらししてほしい。
よほど偏った趣味でもない限りは、間違いなく楽しめる作品が一つはあるはずです。
まぁ、娘によってはギリギリ間に合ったりするので、満足いく結末かは保証出来ませんがーー、
〝この娘はおもらしするのか、しないのか?〟
それを想像しながら読むことが、全作を通しての一番の楽しみ方なのかもしれませんね。
◆◆
作者はpixivで多数のおもらし短編を投稿している、黄金水好きーさん。
イラストは、同じくpixivで『アイドルマスターシンデレラガールズ』や『あんさんぶるスターズ』関連のキャラクターのイラストを多く投稿している竹梅さん。
基本的に全作力の入った作品となっていますが、やはり2・3話と前後編になっている「内海綾香」編からは、熱量というか作者の思いのようなものがヒシヒシと伝わってきます。
前述した気弱で引っ込み事案なトラウマ持ちの女の子・内海綾香が主人公。過去の失敗から友達をつくることが出来なかった彼女でしたが、初めて声をかけてきてくれた近藤鳴海(別作品の主人公)との仲を守るために必死に尿意と闘う姿は、オモラシストとして彼女の恥ずかしい姿を望みながらも、どうにか助かってほしいと願ってしまうほどのいじらしさがあるのです。
まさか、おもらし小説で手に汗握ることになるとは……。
ネタバレになってしまうので多くは語れませんが、ゴールが近付くにつれジワジワと決壊を迎えていく彼女の姿は、イラストが無くても自然と絵が浮かぶし、男性なら趣味とか関係なく、無意識に心臓が昂ぶるのではないでしょうか。
今後彼女は、このシリーズの看板娘になるかもしれません。
◆◆
そして、別の意味で名作と言っても過言ではないのが「響咲音」編です。
上品に振る舞うお嬢様然とした主人公ですが……その実体はいかに!?
今作は言葉遊びというか、自分視点でトイレの列に並び尿意を我慢する様を丁寧に実況してくれているので、臨場感と緊迫感が程よく入り混じった、比較的読みやすいタイプの作品ですが、
何よりの注目点は、女子トイレ全体をひとつの〝音楽〟として扱っていることです。
主人公が吹奏楽部ということで、実況の中で「メインパート」とか「フォルティシモ」とかそれを匂わせる単語が多数出て来ます。それこそ、瀬戸際の女の子がトイレのドアをコンコンとノックするのを「ドラムの音のよう」とまで表現しています。
果ては、尿意から解き放たれるのを今か今かと待ち構えている女の子達の耳に入ってくる他人のオシッコの音すらも交響楽団のハーモニーのように扱う様は……もう途中から、そっちの方が楽しくなってきます。
読者を楽しませることよりも、作者自身が楽しむことを考えて作られたのではないか、と思いましたね。
◆◆
残念な点をあげるとすれば、まず文書の推敲が上手く出来ていなかったこと。
行の先頭がズレていたり、単純な日本語のミスがあったりするのですが、そこは僕は大して気になりませんでした。
それよりもこの場を借りてお話したいのが、前述した「表紙イラスト」の問題です。
トイレでおしっこを我慢する女の子達から、保護欲をくすぐる愛おしさを感じるおかげで、〝可愛い女の子のおもらし〟が妄想出来て非常にワクワクするのですがーー誰が誰なのかが、明確に記されていないのです。
誰で想像するかは今のところ読者の自由ですので、人によっては初めは混乱するかもしれませんが、もしかしたらこれも作者の思惑通りかもしれません。
即ち誰が誰なのかを考えながら読んでほしいというーー。
いずれにせよ竹梅先生のイラストの女の子の苦痛に歪む女の子の表情は「あぁ、おもらしっ娘向きだなぁ」と思いました。
皆様はどう思ったのでしょうか。
(後日、黄金水好きーさんのpixivで今作の登場人物の紹介ページがあることが判明しました。プロフィールから年表、作者の備考まで事細かく記載されています)
◆◆
つまり前回の「TRUE iDOL SHOW/肌色黄金水」(同人誌レビュー⑦)は、おしっこ小説と謳っているにも関わらず、表紙だけではそれがイメージ出来なかった……のかもしれませんね。
しかし、商業的に販売されている文芸作品や文学作品内にストーリーの根幹には関わらないのに、突然「失禁」や「おねしょ」といった排泄描写が出てくると思わずドキドキしてしまうこともあります。
文学とおもらし……実は、面白い研究テーマなのではないでしょうか。