《23》【僕のジョボ女簿日誌】 「第一話 学園(エデン)は檻の中」 (5)―2 見守
- 2017/03/02
- 11:57
彼女は小さな肩を震わせ、目元の涙を袖で拭う。その姿に、いつもの〝委員長〟としての威厳はなかった。目の前の不安と恐怖に心を砕かれた、一人のか弱い女の子・桃瀬来久美がそこに立っていた。
「先生、気付いてますよね? 私、ここ最近休み時間になるとまずトイレに行くんです、不安だから……。でも、この前すれ違う男子の一人が、私のことを〝頻尿女〟って呼んだんです……」
その一言に僕は怒りを覚えた。ただでさえ、かなりのレベルの恥辱に苛まれている思春期真っ只中の彼女に、そんな心ない言葉を突き付けたのはどこの誰だ。
「それが誰かは分かりません。でも、そんなのどうだっていいんです。とにかく私は……今までの私じゃないような気がして、自分の知っている世界が音を立てて崩れていったんです。田代さんの優しさや、周りの皆の気遣いも全てがイヤになりました。皆は今まで通り接してくれているつもりですけど、私には今まで以上に気遣ってくれているように感じます。それが惨めでしょうがなくて……」
彼女の涙は、目の前に映る僕や世界を歪ませていく。
何ということだ。田代さんや同級生らの気遣いが逆に仇になっていたなんて。さらに、そのことで彼女達にも軋轢をつくってしまい、さらなる孤立を産んでしまっていたなんて。悪循環とはこういうことをいうのだろうか。
「でも、一人だけ今まで通り変わらず接してくれる人がいて……それが上山君でした」
暗闇の中に一筋の光が見えたかのように、彼女は少しだけ笑みを見せた。二人の交際のきっかけは彼からのアタックだという。さっきの彼の口ぶりからして、おもらしの事実を知っても想いを伝え続けたのかもしれない。
彼女の周りで唯一変わらなかった人。それが、上山だったのか。
「先生、私のことを心配してくれてありがとうございます。でも、私は大丈夫ですから。今まで通りは無理かもしれません、でも少しずつならーー少しずつ、少しずつ……時間はかかるかもしれませんけど、今まで通りの私に戻ってみせますから。だから……見守っていてくれませんか?」
自分の言った言葉を一つも疑っていない、強い決意を持った透き通った眼差し。心の底からそう信じて、自分で自分を信じていることが伝わってきた。
――彼女は美しかった。
ほんの一週間前に、教室で子供みたいにおしっこを漏らし、あられもない姿をクラスメイトに見せ付け、保健室で泣きじゃくる姿がフラッシュバックしても僕はそう感じた。
だからこそ、僕は何も言い返せなかった。彼女の最後の一言。〝見守っていてほしい〟とは、助けはいらないという意思表示のように聞こえた。
彼女はいつもそうだ。大事なことは全て自分一人で抱え込む、ひた向きで真っ直ぐな女の子。
でも、このままじゃいけない。辛いときは助けを求めてもいいんだよ、そう言おうとしたが言葉が出なかった。
伊庭先生に彼女に干渉しないように言われたから?
いや、違う。彼女が眩し過ぎたのだ。
二十五歳のいい大人が、子供相手に何丸め込まれてるんだという話だが、僕はただ立ち尽くすことしか出来なかった。
校内から聞こえる昼休憩終了のチャイムが、とても遠くに感じた。
◆◆
「見守っていて下さい、かぁ……」
僕は夕陽の光を手のひらで遮りながら、暮れなずむ商店街を一人で歩いていた。
今どき珍しい昔馴染みの商店街で、看板や店構えが古いものが多いか、そこにまた愛嬌を感じる。右を向けば肉屋のオヤジが香ばしい匂いを撒き散らしながら焼肉を売っていたり、左を向けば魚屋のオヤジが主婦を相手に活気の良い魚を勧めている。
若い子は街の中心街にあるショッピングモールに行く傾向にあるらしいが、僕はこっちの方が好きだ。
「先生、気付いてますよね? 私、ここ最近休み時間になるとまずトイレに行くんです、不安だから……。でも、この前すれ違う男子の一人が、私のことを〝頻尿女〟って呼んだんです……」
その一言に僕は怒りを覚えた。ただでさえ、かなりのレベルの恥辱に苛まれている思春期真っ只中の彼女に、そんな心ない言葉を突き付けたのはどこの誰だ。
「それが誰かは分かりません。でも、そんなのどうだっていいんです。とにかく私は……今までの私じゃないような気がして、自分の知っている世界が音を立てて崩れていったんです。田代さんの優しさや、周りの皆の気遣いも全てがイヤになりました。皆は今まで通り接してくれているつもりですけど、私には今まで以上に気遣ってくれているように感じます。それが惨めでしょうがなくて……」
彼女の涙は、目の前に映る僕や世界を歪ませていく。
何ということだ。田代さんや同級生らの気遣いが逆に仇になっていたなんて。さらに、そのことで彼女達にも軋轢をつくってしまい、さらなる孤立を産んでしまっていたなんて。悪循環とはこういうことをいうのだろうか。
「でも、一人だけ今まで通り変わらず接してくれる人がいて……それが上山君でした」
暗闇の中に一筋の光が見えたかのように、彼女は少しだけ笑みを見せた。二人の交際のきっかけは彼からのアタックだという。さっきの彼の口ぶりからして、おもらしの事実を知っても想いを伝え続けたのかもしれない。
彼女の周りで唯一変わらなかった人。それが、上山だったのか。
「先生、私のことを心配してくれてありがとうございます。でも、私は大丈夫ですから。今まで通りは無理かもしれません、でも少しずつならーー少しずつ、少しずつ……時間はかかるかもしれませんけど、今まで通りの私に戻ってみせますから。だから……見守っていてくれませんか?」
自分の言った言葉を一つも疑っていない、強い決意を持った透き通った眼差し。心の底からそう信じて、自分で自分を信じていることが伝わってきた。
――彼女は美しかった。
ほんの一週間前に、教室で子供みたいにおしっこを漏らし、あられもない姿をクラスメイトに見せ付け、保健室で泣きじゃくる姿がフラッシュバックしても僕はそう感じた。
だからこそ、僕は何も言い返せなかった。彼女の最後の一言。〝見守っていてほしい〟とは、助けはいらないという意思表示のように聞こえた。
彼女はいつもそうだ。大事なことは全て自分一人で抱え込む、ひた向きで真っ直ぐな女の子。
でも、このままじゃいけない。辛いときは助けを求めてもいいんだよ、そう言おうとしたが言葉が出なかった。
伊庭先生に彼女に干渉しないように言われたから?
いや、違う。彼女が眩し過ぎたのだ。
二十五歳のいい大人が、子供相手に何丸め込まれてるんだという話だが、僕はただ立ち尽くすことしか出来なかった。
校内から聞こえる昼休憩終了のチャイムが、とても遠くに感じた。
◆◆
「見守っていて下さい、かぁ……」
僕は夕陽の光を手のひらで遮りながら、暮れなずむ商店街を一人で歩いていた。
今どき珍しい昔馴染みの商店街で、看板や店構えが古いものが多いか、そこにまた愛嬌を感じる。右を向けば肉屋のオヤジが香ばしい匂いを撒き散らしながら焼肉を売っていたり、左を向けば魚屋のオヤジが主婦を相手に活気の良い魚を勧めている。
若い子は街の中心街にあるショッピングモールに行く傾向にあるらしいが、僕はこっちの方が好きだ。